趣味愉楽 詩酒音楽

人文系の書籍やクラシック音楽にまつわるエッセイ集

現代最高の合唱曲作曲家

 タリス・スコラーズの来日演奏会で聞いて以来ずっと耳に残っていたアルヴォ・ペルトの合唱作品。
  

Part: Tintinnabuli

Part: Tintinnabuli

 恐るべき深淵が聞こえる。半音どうしの硬質な響きと単純化された三和音の響きが相互に増幅しあう。聞いたこともないサウンドが深々と広がる。
 現代における、ある種のスピリチュアルな音楽かもしれない。作曲者の静かなまなざしは、驚くべき深みをもってわれわれを射抜く。

 聞きながら、イタリアの後期ルネサンス期の作曲家カルロ・ジェズアルドの、強烈な不協和音を含みもつ合唱曲も思い出した。

晩夏、ルオー巡礼の旅

 一目ぼれであった。

ルオー (新潮美術文庫 40)

ルオー (新潮美術文庫 40)

 2012年にブリヂストン美術館で初めてジョルジュ・ルオーの油彩画を見た。
 その時の衝撃がずっと脈打っていて、今年になってまたふつふつと、彼の絵*1を直接この目で見たくおもって、この晩夏の休暇で出光美術館と汐留ミュージアムへ出かけた。
 画集もあるが、絵が占めている(秘めている)空間や時間、迫りくるもの、息づかいをきちんと感覚するには生で見る他ない。
 そんなことも感じながら、見つめかえしてくる絵をじっと一人で黙々見ていた。

*1:とりわけ宗教画(≪ミセレーレ≫や≪受難≫など)に強く惹かれている。

6つのパルティータ ― バッハ風のリスペクト

 彼の演奏する≪パルティータ≫はどうしても聞きたかった。ようやくCDを手に入れることができた。

バッハ:パルティータ(全曲)

バッハ:パルティータ(全曲)

 バッハはこの6つのパルティータ*1*2の調性をそれぞれ次のように設定している。

第1番 変ロ長調 [B](♭♭)
第2番 ハ短調  [c](♭♭♭)
第3番 イ短調  [a]( - )
第4番 ニ長調  [D](♯♯)
第5番 ト長調  [G](♯)
第6番 ホ短調  [e](♯)

 一見するとランダムな調性の羅列だが、Bから2度上でC、Cから3度下でA、Aから4度上でD、Dから5度下でG、Gから6度上でE、*3というわけである。*4

 しかしなぜ変ロ長調[B]から始めたのか?
 それはバッハの仕事上*5の前任者そしてドイツ音楽界の重鎮ヨハン・クーナウの≪新クラヴィーア練習曲集*6の跡を継いだからなのである。
 クーナウの曲集は第1巻・第2巻ともに7つのパルティータで構成されており、その調性はC→D→E→F→G→A→なのである。*7
 (以上CDブックレットより)

 鈴木雅明さんのオルガン・チェンバロの演奏は心から敬愛してやまない。
 テンポやリズム感、その語り口、胸のすくような気持ちがして爽快であり、知的であり、情熱的である。バッハへの敬愛に満ち、ここまで生き生きとした演奏を他に知らない。
 とりわけ第4番ニ長調パルティータの第1曲「序曲」が一番のお気に入りである。音楽の喜び、本当の自由がある。

*1:パルティータとは「複数の種別の舞曲に基づいた、組曲形式の楽曲」である。

*2:バッハの組曲は往々にして「6つセット」である。これは6という数字が完全数であるからともいわれている。

*3:6度上に到達したところが最後のホ短調第6番とみることもできる。

*4:前半3つはフラット系で後半4つはシャープ系の調性構造とみることもできる。

*5:ライプツィヒの聖トーマス教会カントル(≒ライプツィヒ音楽監督)

*6:第1巻は1689年出版、第2巻は1692年出版である。

*7:クーナウの死によるトーマス・カントルの空席を受けて、バッハは現在のドイツ東部ザクセン州のケーテン侯国から同じく現在のザクセン州ライプツィヒへと移り住んだ。バッハはこのライプツィヒの時代に200を超えるカンタータ、そして≪インヴェンション≫≪平均律クラヴィーア曲集≫≪ゴルドベルク変奏曲≫といった円熟の作品群を遺すこととなる。

命がもっとも軽く扱われた時代

 私たちはなぜ一緒に生きられないのか。

 高校で世界史を習っていたときからずっとナチス党とその時代について興味はあった。
 どういう社会状況が独裁者を生み出したのか、反ユダヤ主義がどのように国策化され執行されたのか、知れば知るほどその異常さが頭から離れなくなっていった。
 高校時代には戦前戦中の歴史的録音にも傾倒していたから、フルトヴェングラーベルリンフィルの録音などかなり聞きこんでいて、この時代への広義の興味は以後かわらず持ち続けていくことになる。

 大学に入ってからは戦前戦中の記録映像やドキュメンタリーをみたり、カール・シュミットの政治思想をかじってみたりと、興味のおもむくままに見聞きしていた。当時のフルトヴェングラーベルリンフィルを含めたドイツの音楽界の状況についての書籍もいくつか読んだ。歴史的録音のCDブックレットにも戦前のことが書いてあってしばしば読んだ。*1

 やはり、しかし映画は雄弁である。≪戦場のピアニスト≫や≪ヒトラー~最期の12日間~≫の衝撃は極めて大きかった。大学卒業後、テアトル梅田でみた≪ふたつの名前を持つ少年≫も本当に堪えた。そして今回みた≪シンドラーのリスト≫もまた実に圧倒的だった。要所要所で流れるユダヤの旋法によるテーマ曲も沁みた。
 もっとも根源的な問い、それは人間の尊厳に関する問い、命に関する問いである。なぜ人間だけが、人間を人間として扱えないのか?

*1:ある弦楽四重奏団は、団員の一人がナチ党員となったことでその友をやむなく失ったという。反ユダヤ主義は音楽や友人までも破壊する。当時これを読んで正直ショックだったのをはっきりと記憶している。

転回の季節

 なにもかもがまとわりついてくる都会を離れ、歩みは森深い山々のほうへと向かう。

 シュヴァルツヴァルト南部の、或る広い渓谷の急斜面、その1150メートルの高みに、小さなスキーヒュッテが建っている。見取図によればそのヒュッテは、六メートルに七メートルの大きさである。低い屋根は、三つの空間を蔽っている。すなわち、居間兼用の台所、寝室そして小さな仕事部屋。狭い渓谷の底に点在して、同じように急な向う側の斜面に大きく屋根の張り出した農家が広々と横たわっている。高く聳え立ち、うっそうと繁る年を経た樅の木のある森に至るまで斜面の下から高原の草地や牧場が続いている。それらすべての上に、大きな輪を描いて二羽の鷹が捩るように昇って行く、輝きに満ちた空間、清澄な夏の蒼空がある。

 ハイデガーが1934年にフライブルク大学総長を辞任してまもなくのラジオ講演『なぜわれらは田舎に留まるか?』はこのようにして始まる。ちょうどこの時期あたりから、ヘルダーリンを中心とする新たな思索の道が整えられてゆく。

 私は、人智の及びがたい季節の盛衰のなかで、その風景の毎時間ごと、日ごと夜ごとの変化を経験する。山々の重みとその原生岩石の堅さ、樅の木の悠然とした成育、花咲く草地の光輝く素朴な景観、長い秋の夜の谷川のさざめき、深く雪に蔽われた平面の厳しい単一性、これらすべてが、自らを押し出し、突き進み、あの上の方の日常的現存を突き抜けて、鳴り響いてくるのだ。そしてしかも、これはゆっくり味わう者の沈潜やわざとらしい感情移入といった意志された瞬間にではなく、ただ固有の現存が自己の仕事のうちにある時にのみ存在する。その時はじめて、仕事はこうした山岳の現実に対して固有の空間を開く。仕事をする道筋は、風景の生起のなかに沈んでいるのである。

(下線・太字は筆者による)

 私たちなしで、あるがままにそれはある。私たちを拒むように強烈にそれはある。賜物として与えられた言葉で私たちはそのことを証しする。

30年代の危機と哲学 (平凡社ライブラリー)

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