19世紀のドイツ音楽史の理解に非常に役立つ一冊。
絶対音楽の美学と分裂する〈ドイツ〉: 十九世紀 (“音楽の国ドイツ”の系譜学)
- 作者: 吉田寛
- 出版社/メーカー: 青弓社
- 発売日: 2015/01/15
- メディア: 単行本
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以下、特に興味深かった点を列挙する。
- 教養市民層の拡大による全ドイツ的な音楽史叙述の広まり(18世紀以降)
- 18世紀末ドイツ・ロマン主義の「語りえないものを表現する器楽」という音楽理念が、ナポレオンのドイツ支配を通じて国民主義や進歩主義思想と結びつき、ハイドン・モーツァルト・ベートーヴェンをその根拠として、ドイツ音楽史叙述に取り入れられるようになる(18世紀末~1820年代ごろ)
- 1830年代にはベートーヴェンが神聖視されるようになり、遺された9つの交響曲がジャンルの規範となる一方、ロッシーニの音楽がヨーロッパを席巻し、ドイツ的[北方的、和声優位(すなわち精神的)]な音楽(※ほとんどベートーヴェンの交響曲を指している)とイタリア的[南方的、耳触りのよい旋律優位(ともすれば皮相的)]な音楽という対立図式(ベートーヴェンVSロッシーニ論争)でドイツ音楽史が叙述されるようになる(1830年代以降)
- 19世紀後半になると、うわべの旋律美に傾斜するイタリア・オペラを批判することを出発点とするハンスリックの形式主義の思想が登場し、和声と楽曲構成の精緻さを重視し動機を職人的に発展展開させるドイツ音楽という理念が打ちだされる(ベートーヴェンVSロッシーニ論争の延長線上)
- ベートーヴェン亡きドイツ音楽界の新しい道としてワーグナーは「総合芸術」の理念を提起し、ハンスリックを中心とするウィーン(オーストリア)をイタリアもろとも「南方的=うわべ=形式主義」と激しく批判*3*4
著者である吉田寛さんの目的は、音楽を通じてのドイツのナショナル・アイデンティティのねじれを、多くの外国語の一次文献を通じて実証的に横断的に明らかにしていくことにある。しかし本書はそれにとどまることなく、19世紀のドイツ音楽界の理解を深めてくれる良書でもある。
*1:1735年にバッハが『クラヴィーア練習曲集第2巻』として『イタリア協奏曲』と『フランス風序曲』を同時出版したことは象徴的である。
*2:これについては革命に湧くフランスへの冷ややかな評価が影響しているとも。
*3:ハプスブルク帝国あるいはウィーンの宮廷におけるイタリア志向=南方志向は根強かった。
*4:この時代になってくるとドイツ統一の機運も高まってきており、文化的宗教的にもドイツ南北の差異は際立って指摘されるようになってきていた。
*5:1881年という年は、ブルックナーの交響曲(第4番)がウィーンで初めて、多くの聴衆に理解された年でもある。(それまでほとんど評価されてきていなかったわけであるからこれは裏を返せばブルックナーの交響曲はワーグナー風にしか理解され得なかったということでもある。)