趣味愉楽 詩酒音楽

人文系の書籍やクラシック音楽にまつわるエッセイ集

近代を飛びこえて

 興味関心のある領域を分野横断的に照らしあわせてみると、どうやら「2つ」の特定の時代が浮かび上がってくる。

【16世紀~17世紀】まだ神と王が統べていた時代、他方で個人の生にも光があてられ始めた時代

  • 宗教画と静物画(とくにヴァニタス画やヴンダーカンマー画)


【20世紀前半】徹底的な破壊と価値の転倒がなされた(なされようとした)時代、他方で前世期の残香に眼を向けていた時代

  • ヘッセ


 それでは、ブルックナーはいったいどこへ?

 19世紀は市民革命と産業革命に彩られて資本主義社会の成長にすべてが託された時代であった。前世期の啓蒙主義(芸術関連では特にカントによる天才論)の影響はいたるところで見られた。他方で、ときに病的なまでの国民国家概念や個人概念にとりつかれた時代でもあった。排除や疎外、無視がはっきりと横たわっているのに、まさに誰もそれを「見ようとしない」時代。だから時代にさきがけてニーチェはその欺瞞性そのものと全面対決しようとした。
 いまこの現代においてなお、19世紀という時代の恩恵を受けながらも、その19世紀に端を発する問題あるいは目を背けたくなる現実が多数残されており、ジレンマに陥る。音楽を除いて、この時代にはあまり惹かれないというのが正直なところである。

 ブルックナーはそうしたなかで、特異の存在である。彼はおそらく17世紀以前の人であり、また20世紀以降の人である。彼の精神をさしてそのように言ってみたい。彼の根底にあった相反するもの*1はどうやら時代の枠組みの外にあったように思われてならない。

 そういったわけで、前述の2つの時代をむすびつけるものとして、ブルックナーはある。このように考えてみたい。

ブルックナー:モテット集

ブルックナー:モテット集

*1:病理学的な見地においては、彼は今でいう強迫性障害であった可能性が指摘されている。