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und es sahe der achtsame Mann das Angesicht des Gottes genau...

命がもっとも軽く扱われた時代

 私たちはなぜ一緒に生きられないのか。

 高校で世界史を習っていたときからずっとナチス党とその時代について興味はあった。
 どういう社会状況が独裁者を生み出したのか、反ユダヤ主義がどのように国策化され執行されたのか、知れば知るほどその異常さが頭から離れなくなっていった。
 高校時代には戦前戦中の歴史的録音にも傾倒していたから、フルトヴェングラーベルリンフィルの録音などかなり聞きこんでいて、この時代への広義の興味は以後かわらず持ち続けていくことになる。

 大学に入ってからは戦前戦中の記録映像やドキュメンタリーをみたり、カール・シュミットの政治思想をかじってみたりと、興味のおもむくままに見聞きしていた。当時のフルトヴェングラーベルリンフィルを含めたドイツの音楽界の状況についての書籍もいくつか読んだ。歴史的録音のCDブックレットにも戦前のことが書いてあってしばしば読んだ。*1

 やはり、しかし映画は雄弁である。≪戦場のピアニスト≫や≪ヒトラー~最期の12日間~≫の衝撃は極めて大きかった。大学卒業後、テアトル梅田でみた≪ふたつの名前を持つ少年≫も本当に堪えた。そして今回みた≪シンドラーのリスト≫もまた実に圧倒的だった。要所要所で流れるユダヤの旋法によるテーマ曲も沁みた。
 もっとも根源的な問い、それは人間の尊厳に関する問い、命に関する問いである。なぜ人間だけが、人間を人間として扱えないのか?

*1:ある弦楽四重奏団は、団員の一人がナチ党員となったことでその友をやむなく失ったという。反ユダヤ主義は音楽や友人までも破壊する。当時これを読んで正直ショックだったのをはっきりと記憶している。