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人文系の書籍やクラシック音楽にまつわるエッセイ集

近代的芸術観の成立

 我々が今日いわゆる「芸術」と呼んでいるものは正しくは「西洋近代芸術」と呼ばれるべきだろう。

芸術の逆説―近代美学の成立

芸術の逆説―近代美学の成立

 以下、私が重要だと感じた箇所まとめである。

■18世紀中葉のヴォルフ学派の理論

  • 神による創造(可能的世界の創造)というモチーフを芸術家の創作活動にも準用
  • 芸術家の創造と自然模倣説の調停(バランス):芸術家の創作行為は、神になりかわって可能的世界を創造する(現実化する)という限りにおいてのみ許容される(あくまで自然という規範は揺るがない)
  • 類比関係によって芸術家の領域を画定… [ 神による世界(自然)の創造 ] と [ 芸術家による作品の創造 ] という類比


■18世紀終盤における近代的芸術観の成立

  • 18世紀終盤において「古典的芸術(制作)観」から「近代的芸術(創作)観」へのゆるやかな変遷が見受けられる
  • 古典的芸術(制作)観においては「原像 - 模像」が基本理念であり、原像の価値的優位(原像=オリジナルとは「神」が創造したもの、あるいは自然)を前提としてそれを「模倣(ミメーシス)」する限りで制作がなされる
  • 近代的芸術(創作)観へと移行する過程で、模像は徐々に自立・自律したものと見なされるようになり、それは制作者(作者)の存在を差ししめすようになる
  • 近代的芸術(創作)観においては「作者(天才)- 作品 - 享受者」が基本理念であり、天才という個人自立性・自律性独創性の「表現」として作品という世界が開かれる


■カントとシェリングにおける「自然との調停」

  • カントとシェリングは、自然と「 Kunst(独):art(英)」[ 技術、技巧、人工、人為 ] とが対立するものであるという前提を認めたうえで、なおそれらの調停をもくろむ:それらの共通接点としての「芸術作品」という理念
  • 人為的なものでありながらも「非機械的」なもの(人間精神の無限性の証左)としての芸術作品という理念
  • 天才的な作者の表現意図というものを認めつつも、「主体における自然」(カント)あるいは「没意識的活動」(シェリング)といったキーワードで、必ずしも天才個人に還元しつくせない「無限性」(本来は神・自然にのみあてはまる概念)を作品に見てとる*1


■スミスの器楽理論

  • スミスによって1780年代に書かれたとされる文献からは近代的な器楽理論が読みとれる
  • 器楽の非模倣性すなわち歌詞やタイトルなしの純粋な楽音だけでの模倣には限界があるという考えは、むしろ肯定的に逆転されうる:器楽は極めて高度の自己完結性をそなえている(それ自体で自身の「世界」を構成している)=高度の自律性を内部に秘めている*2

*1:無限性というキーワードはちょうどドイツのロマン主義思想とも通底する。

*2:1780年代頃には「ソナタ形式」がほぼ確立していることは極めて重要である。