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人文系の書籍やクラシック音楽にまつわるエッセイ集

ハイデガー『詩』(1968)

 1968年8月25日になされた講演を推敲したテクスト『詩』は短いながらもハイデガーの思索を余すところなく伝える。

1.詩人と神々の関係について

詩人が話すことは、示しながら、被い隠しつつ - 被いを取り除いて、
神々*1の到着を現出させるのに、必要とされるのであり、
しかも神々は、現出することで初めて神々自身であるために、
自分たちの現出のために詩人の言葉を必要とする
(※以下、太字処理は筆者)


2.神々の名を呼ぶことについて

名を呼ぶことは、叫びかけて剥き出しにすることであるとともに、包み隠すことでもある


3.述べることの本質について

述べることで、まさにただ述べることによってのみ、
述べられてはいないことを、しかも述べられてはいないこととして現出させること

 
 ヘルダーリンの詩作を存分に解釈しながらハイデガー言葉の限界を思考する。それは存在についての思索でもある。
 ハイデガーの存在への思索は、呈示(あらわれ)- 隠伏(かくれ)の相互浸透をその基本的なモチーフとしているように思える。あるいは、言葉そのものが宿命的にそなえ(てしまっ)ている本質的な語り尽くせなさや到達しえなさ、そういった言葉そのものの持つ宿世(それは人間そのものの命運でもある)へのあくなき洞察を基調としているようにも見える。

ヘルダーリンの詩作の解明〈第1部門〉既刊著作(1910‐76) (ハイデッガー全集)

ヘルダーリンの詩作の解明〈第1部門〉既刊著作(1910‐76) (ハイデッガー全集)

*1:ここでいう「神々」は特定の神なるものについて言っているのではない。まさに「3.述べることの本質について」と関連しているわけだが、「神々」という呼び名は仮のものでしかない。ハイデガーは言いえない存在の神秘について近づこうとして「神々」というワードを当てたのだと思われる。もちろんそれはヘルダーリンからの影響であることは間違いない。