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人文系の書籍やクラシック音楽の紹介を中心としたエッセイ集

構想力とはなにか

 カントのいう構想力について詳しくみていきたい。

縮刷版 カント事典

縮刷版 カント事典

  • 発売日: 2014/05/29
  • メディア: 単行本

 想像力ないし構想力[Einbildungskraft]について、2014年に弘文堂より刊行された『カント事典』によれば次のとおりである。

 構想力はカントによれば、「対象を、その現前がなくても、直観のうちに表象する能力」のこと(・・・)であり、あるいは、「多様を1つの形象[Bild]へともたらす能力」(・・・)のことである。

 一言でいうと、対象となる物事についての1つのイメージを思いえがくことができる力である。それは単に「思い出す」という程度のこともあるだろうし、「諸々ひっくるめて1つにまとめあげる」というレベルのこともあるだろう。構想力のはたらきは、どうやらかなり柔軟なもののようである。

 ちなみに、古典古代以来、構想力はどのように考えられてきたのだろうか。

 カントは構想力を、受動的な「再生的構想力」と、能動的で積極的な意味を持つ「産出的構想力」に区別する。これは、構想力が、伝統的に感性と悟性の中間的能力であることに由来する。
 アリストテレスは『デ・アニマ』において、想像力(・・・)は、知覚とも思惟とも異なるとする。想像力は、知覚なしには見いだすことができないし、また思惟は、想像力なしには見いだすことができないからである(・・・)。この中間的存在としての想像力は、トマス・アクィナスフィチーノ、ピコ・デラ・ミランドラ、さらにはヴォルフ学派に引き継がれ、これらがカントの構想力の二義性の伝統的コンテクストとなっている。

 構想力を感性のほうへ、感覚器官のほうへ包括しようとすると具合が悪い。かといって悟性のほうへ、述語付与の能力のほうへ包括することも具合が悪い。こうして構想力は感性と悟性との間にあって両者を橋渡しする役割を担うことになる。

 再び構想力のはたらきについて見ていこう。

 「再生的」構想力は、連想の法則にしたがって諸表象を結合する。「産出的」構想力は、悟性の規則に従い、カテゴリーに適合するように、諸表象を結合する。この場合、構想力が行う綜合は、悟性の感性に対する一つの作用である。構想力の「純粋」綜合、あるいは、「超越論的」綜合は、経験の可能性の一つの条件である。つまり、対象が知覚されるためにはすでに構想力が根底に働いている必要があり、あらゆる多様を取りまとめて一つの認識へともたらす可能性の条件である。

 構想力は単にイメージするだけの能力ではなく、認識を成立させるための綜合の能力も兼ね備えているということである。この点において構想力は、空想や妄想とは区別された、ひとの「認識のしくみ」という枠組みのなかに位置づけられることとなる。


 当初、カントにおいて構想力は、感性と悟性を結ぶ第三項として、認識そのものを可能にする要件の一つとして位置づけられていた。
 しかし最終的には、カントは構想力をどちらかというと悟性のほうへ引きつけて考えるようになったようである。そのことは『純粋理性批判』の第一版と第二版の比較において結論づけられる。「感性」-「構想力」-「悟性」という三要素は、「感性」-「(構想力・)悟性」という二元論へと集約されることとなったのである。

(参考)ドイツ観念論への影響

 他方、ヘーゲルはカントの産出的構想力にヒントを得たようである。

 ヘーゲルは『信仰と知』において、カントの産出的構想力を高く評価する。構想力は「第一のもの、根源的なもの」であって、そこから初めて自我と世界の多様が分岐してくる。ヘーゲルは、カントの功績を「超越論的構想力という形式のうちに真のアプリオリテートの理念をおいた」ことにあるとする。

 シェリングらも含めたドイツ観念論において、カントの産出的構想力の理念は極めて重要な論点となっていく。

読書録:判断と崇高 カント美学のポリティクス

 132ページのこの箇所を読んで初めて、カント崇高論の奥深さに気づいた。

美と崇高の違いについて述べた『判断力批判』の一節に戻ろう。「自然の美しいものは対象の形式に関わり、この形式は限定を旨とするが、これに反して崇高なものは、無形式な対象においても、見いだされることができる」(・・・)。この「無形式な対象においても」の「も[auch]」に注意しよう。これは、崇高がたんに無形式なものに関わっているだけでなく、逆に形式をもった対象に「も」関わっているころを示している。

 カントの『判断力批判』の直感的判断力の分析論において、崇高の分析論は単なる附録であって、その中心はあくまで美の分析論である。
 しかし、カントはそれはそれとして、崇高なものの存在領域ないし生存圏を明瞭に確保する。崇高なものは、1つの機縁として、ひとを日常の感性的世界から解き放ち、超感性的使命ないし人間精神の卓越性に触れさせる。判断力批判』の全体の論理構成上、美の分析論が主軸となる一方で、カントは崇高なものの領分をはっきりと示した。しかもそれが、美と崇高は必ずしも二項対立的なものではなく、複層的に両立しうるという形で示されていることは、注目に値する。

崇高なものについて

 カントの崇高論を詳しくみていきたい。(以下、傍線は筆者補記)

 「崇高なものが、無形式な対象においても見いだされる」とは、しかし、どのようなことなのだろうか。
 問題の一文は以下のように続いている。「つまりこの対象において、あるいはこの対象を機縁として、無限定性が表象され、しかもこの無限定性の総体がこの対象に付加されて思考される[hinzugedacht]かぎりで、崇高なものは、無形式な対象においても、見いだされることができるのである」(・・・)。注意しなければならないのは、崇高なものが「無形式な対象においても見いだされる」と言われる場合、それは「無形式な対象」そのものが崇高と呼ばれているわけではないという点である。美的判断において、感性的な対象に関して美や崇高として表出することは、構想力(想像力)の役割であるが、崇高なものの判断では、この表出能力としての構想力が、なにか無形式=不定形な対象それ自体を崇高として表出すると考えられているわけではない。厳密に言って、この対象は「機縁として[durch dessen Veranlassung]」役立つにすぎない。

 つまり、どういうことか。

 崇高として表象されると言われているのは「無限定性[Unbegrenztheit]」である。それは、もはや感性的ないし美的な対象ではない。カントの言葉に従えば、われわれの心のうちにそなわる「理性の諸理念」であり、「いかなる感性的な形式にも含まれていることはできない」(・・・)という人間の「超感性的使命」(・・・)であるとされる。カントはこれは、人間の精神能力の「品位」(・・・)や「卓越性」(・・・)とも言い換えている。要するに、崇高と呼ばれるものは、なんらかの無形の感性的対象ではなく、そうした対象の表象のうちへと崇高性を持ち込む「心構え[Denkungs-art]」(・・・)に由来するものなのであり、そうであるかぎり、感性の対象としては直接には表出されないがそれでも思考すべき何ものかとして、感性の限界を超越した「理念的なもの」や「無限なもの」(・・・)を指し示しているーーそのようにカントは考えるのである。

 まとめるとこういうことである。

 「無形式な対象」が「機縁として」役立つとは、当の対象をその総体において構想力が首尾よく表出できないという不適合、つまり呈示不可能性ないし表象不可能性が、構想力としてみずからの感性的な限界に直面させ構想力の働きを挫かせるだけではなく、そのことによってむしろ、みずからの感性的限界を超えた、なにか「超感性的」で「無限なもの」を構想力に崇高として表出させる(「ある感動的な適意」を与える)(・・・)。
 (・・・)
 いずれにせよ、ここに現れているのは、理念的なものであれ、無限のものであれ、感性的には<表出=呈示不可能なもの>を、表出の失敗やその不可能性を介して、否定的=消極的に表出しようとする、ひとつの弁証法的な論理である。
 (・・・)
 当の「無形式な対象」はまさに無形式であるがゆえに客観的には表象されることができないが、しかしその不可能性がむしろ高次の段階で<表出=呈示不可能なもの>としての超感性的な存在を喚起し、それを消極的に表象することを可能にしている。

 無形式な対象としてカント自身は大瀑布や活火山、静かな大洋そして満天の星空などの自然物を挙げる一方で、ローマの聖ピエトロ大聖堂やピラミッド、ユダヤの律法書といった人工物も列挙している。
 
 しかし、冒頭の「も[auch]」に着目してみたとき、きっかけとなる対象が静的な形式感(カントによればこれこそがである)をたたえていようと、はたまた動的な無形式的存在であろうと、構想力がその臨界を突き抜けた先に、ひとは無限や永遠といった超感性的な何かを予感する。それは理性の働きと呼応するものであり、ひとの思考はおのれを限界にまで運びゆく。


 こうして、無限なものや超感性的なものというモチーフはそのまま19世紀のドイツ・ロマン主義へと受けつがれていく。

バッハ作品おすすめ厳選記

 2020年7月時点で一度厳選したものに修正を加え、ジャンル別にリスト化してみた。とにかく曲の数や長さを絞るということに専念した。*1

管弦楽作品

(1)無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ 第2番 第5曲 シャコンヌ
(2)ブランデンブルク協奏曲 第5番 第1楽章
(3)管弦楽組曲 第3番 第2曲 アリア(G線上のアリア

 バッハの音楽は実にエネルギッシュで躍動的である。堅固な構成卓越した対位法技術に裏打ちされたその力強い音楽に人は惹かれる。チェンバロカデンツァで有名な(2)はその真骨頂である。
 また一方で、息を吞むような静けさ、繊細さがもたらす優美な曲調も大変な魅力である。(3)は余りにも有名だが、いつ聞いても何度聞いても、感嘆の溜息を禁じ得ない。
 その両方を兼ね備えた、国や時代を超越する一曲が(1)である。いわゆるドイツ・バロックに成熟した器楽ジャンルの伝統を踏まえつつ、しかしバッハはこの作品で伝統や形式、ジャンルといった枠組みをすべて突き抜けてしまう。それも圧倒的かつ不可逆的に。バッハのシャコンヌには、すでに近代的・ロマン主義的な「表現」の理念が見え隠れするのである。

クラヴィーア作品

(1)パルティータ 第6番 第1曲 トッカータ
(2)半音階的幻想曲とフーガ

 ほとばしる情熱、パッション
 バロック音楽古楽はまったくもって「癒しの音楽」などでは決してないことを雄弁に語る2曲。いずれも半音階的なハーモニーが生み出す衝撃的な音響に人は驚嘆する。
 (1)がおさめられている『クラヴィーア練習曲集 第1部』はバッハの生前に印刷出版された数少ない作品のうち、もっとも初めのものである。音楽愛好家たちはこの曲を聞いて何を感じただろうか。

オルガン作品(オルガンコラール以外)

(1)前奏曲とフーガ ホ短調(BWV548)
(2)前奏曲とフーガ 変ホ長調(BWV552)
(3)パッサカリアとフーガ ハ短調(BWV582)
(4)幻想曲とフーガ ト短調(BWV542)

 バッハは作曲家というよりむしろオルガニストとしてキャリアをスタートしたわけだが、同時代の人々の認識も「ザクセン地方の凄腕オルガニスト*2」というものだったらしい。
 (3)は若き日のバッハのオルガン技法の集大成ともいえる作品。変奏曲+フーガという形式のうちに、やりたいことをすべて盛り込んだ傑作で、パイプオルガンという楽器そのものの魅力を存分に堪能できる作品でもある。
 かたや(1)や(2)は円熟の極みともいえる作品。揺るぎない構成感、洗練された対位法、よどみない楽想展開はまさに熟練の職人芸とも呼べるもの。
 ちなみに(4)は青年バッハが「就活」のために書いた作品で、自己PRに必死なバッハが透けてみえて興味深い。

補記1:番外編

(1)マタイ受難曲
(2)平均律クラヴィーア曲集 第1巻

 作品中の全曲を通して1つの体系ないし1つの世界観となっているような作品については、番外編として取り扱うことにした。
 (1)は、もはや音楽というくくりを超えた作品、超越的作品である。ただ一方で、この作品が典礼音楽劇の伝統を踏まえて作られたものであるということは付記しておきたい。
 (2)は、ハ長調からロ短調へ、そしてまたハ長調24の調をめぐるバッハの終わりなき旅路である。半音階的なモチーフを基調とするロ短調フーガ(最終曲)が終わるところ、ハ長調プレリュード(冒頭曲)のめくるめくアルペジオの世界が開ける。
 これはもはや循環的な世界観を予感させるような衝撃作である。もちろんこの作品も先人たちが遺した「練習曲集」というジャンル史の地平から生まれたものであるということは言うまでもない。

補記2:オルガン作品(オルガンコラール)

(1)O Mensch Bewein Dein Sunde Gross(BWV622)
(2)Wenn wir in höchsten Nöten sein(BWV 641)
(3)Liebster Jesu, wir sind hier(BWV731)

 最後はバッハ音楽の奥の院オルガンコラールの森である。
 もうこれははっきり申し上げて私の好みであって、まったくもって趣味の問題である。

 お気づきかもしれないが、カンタータをはじめとした声楽作品がマタイ受難曲以外1つもとりあげられていない。これはひとえに私がバッハのカンタータの世界をまだあまり知らないからである。今後、カンタータも全曲聞いていきたい。教会カンタータだけでも200曲近くあるのだけれども。


*1:厳選のポイントとして、心地よさや快よりも、いかに衝撃的でインパクトがあるかという基準で今回は選んでみた。

*2:むしろ凄脚か

読書録:世界哲学史8 ー 現代 グローバル時代の知

 第3章(千葉雅也ポストモダン、あるいはポスト構造主義の論理と倫理」)だけでも読めればと思って手に取った一冊だが、実際、手っ取り早くポストモダン思想について概観するにはうってつけ。

 2010年代に至るまでの最新のポストモダン思想が約30ページという分量に極めて簡潔にまとめられているのが第3章である。*1
 ポストモダンの論理の要点を「ダブルバインド思考」と名付け、非常に明快に、かつ誤解の生じないよう、そしてポストモダンへの批判にも応答しつつ、テンポよく解説が進む。
 また、2000年代の日本での思想状況に加え、メイヤスーやラリュエル、マラブーらの最新の理論の紹介も非常にわかりやすい。特にメイヤスーの思弁的実在論(思弁的唯物論)の箇所は白眉。
 

*1:プラトンやカント、ハイデガーについての最低限の知識は要求されるものの、逆にいえば、そこだけ押さえておけばついていける記述となっている。

読書録:故郷(太宰治)

 太宰治の『故郷』*1は、原稿用紙30枚くらいの短編の私小説である。
 筋書きは非常に明快である。東京で妻子と暮らしている私は母危篤の知らせを受け、長らくお世話になっている恩人の助けを借りて青森の実家へと帰省する。私は勘当の身であるがゆえに気まずい思いをしつつも、母と再会することができ、また、集まってきていた祖母や叔母、姪などの親族とも交流を深める。しかし母の容体は思わしくなかった。長兄、次兄、私、長姉は夕食後、それぞれ示しあわせるでもなく母の病室の隣の小部屋に一人また一人と集まってくるのであった。

全体の作り

:恩人である北さん、中畑さんから母危篤の知らせを受け、妻子とともに帰省を開始する。
:北さん、中畑さんの助けを借りつつ実家に入り、母と対面する。
  また、親族と話しているうちに、危篤を知らせる兄からの速達が行き違いになっていたことを知る。
:母の容態が悪化し、私の心は乱れ、激しく葛藤し、離れの洋室へと逃れる。
:兄や北さんとの夕食を済ませた私は、北さんを見送る。夕食後、兄弟たちはひっそりと全員集合する。

卓越した全体構成

 起承転結の「転」の部分へは、筋書き全体のちょうど三分の二あたりで到達する。これは偶然では、なかろう。考えつくされたうえでの比率であろう。
 また、の間には小休止とでも言える場面がある。心乱れに乱れた私は、誰も近寄らない離れの洋室へと避難し、そこで夕方まで居眠りする。そこへ妻がやってくる。これは全編を通じて唯一の夫婦二人きりの場面である。青森の実家でそれぞれに気まずい思いをしている二人が、少し肩の力を抜いて夫婦で話をするのである。してみると起承転結という五部分構成ともとれる。
 

登場人物の多寡と場面展開

 起承と話が進むにつれ登場人物は次第に増えていき、全編の折り返し地点あたりで人物は最も多くなる(祖母、叔母、姪、嫂、親戚のおばあさん等々全員あわせると20名を超える。)が、となって私の心は大きく動揺し、洋室へと避難し、ここで場にいる人物は私ひとりとなる。そして居眠りによって幾分落ち着きを取り戻したころ、妻がやってくるわけである。転から休へ、心情のうねりと人物多寡が連動する、実に巧みな場面展開である。
 最終場では、北さんを見送って、私ひとりになった後、母の病室の隣の小部屋に次兄が座っているのを見て同席し、ほどなくして長兄も合流し、ふと気がつくと長姉も後ろに座っていた、といった描かれ方で話が終わる。20数名の登場人物がいるなかで、最終場面の人物として選ばれたのは長兄、次兄、私、長姉の4人。作中に出てくる兄弟姉妹の全員である。無言の兄弟集結、これもまた憎い。一人また一人と集まっていく様もまた実に憎い。

参照される古典

 この作品には少なくとも2つの古典的題材が参照対象となっている。
 ルカ福音書新約聖書の「放蕩息子のたとえ話」と近松門左衛門の「冥土の飛脚」(浄瑠璃)である。どうも単なる帰省話ではないらしい。

放蕩息子のたとえ話

 第14段落には次のようにある。

聖書にある「蕩児の帰宅」を、私はチラと思い浮べた。

 聖書に出てくる数多のたとえ話のなかでも、放蕩息子の話はとりわけ有名である。勤勉な兄とは対照的に、弟はごくつぶしで、父にせびって得た金を浪費した挙句、父のもとへ戻ってくる。父は、弟を許すどころか、むしろ弟の帰省を歓迎し、宴を開くという話である。*2
 本作においては父=長兄ということになろう。主人公である私は、家父長たる長兄から未だ許しを得られているわけではなかった。いわゆる勘当中であった。
 夕食の場面を描く第41段落において私の心の内は次のように描かれている。

私は腕をのばして、長兄にも次兄にもお酌をした。私が兄たちに許されているのか、いないのか、もうそんな事は考えまいと思った。私は一生ゆるされる筈はないのだし、また、許してもらおうなんて、虫のいい甘ったれた考えかたは捨てる事だ。結局は私が、兄たちを愛しているか愛していないか、問題はそこだ。*3愛する者は、さいわいなる哉。*4私が兄たちを愛して居ればいいのだ。みれんがましい慾の深い考えかたは捨てる事だ、などと私は独酌で大いに飲みながら、たわいない自問自答を続けていた。

 東京でさんざんお世話になってきている恩人の北さん、中畑さんの仲介と助けのうちに帰省した私は、母の危篤という異例の状況下で、結局は、兄たちと夕食()をともにする。
 聖書の放蕩息子は救済されたが私は、はて、どうか。

冥土の飛脚

 いっぽう、近松門左衛門の「冥土の飛脚」は、いわゆる若い男女の悲恋ものである。飛脚の男(忠兵衛)は、惚れた遊女(梅川)との駆け落ちのため、配達物である大金に手をつける。とんだ御法度である。最終的に忠兵衛は刑死、梅川は仏門に入る。
 津軽平野を電車で行きながら、車窓に広がるふるさとの景色を妻に解説する私を受けて、第20段落には次のようにある。

ここがわしの生れ在所、四、五丁ゆけば、などと、やや得意そうに説明して聞かせる梅川忠兵衛の新口村は、たいへん可憐な芝居であるが、私の場合は、そうではなかった。忠兵衛がやたらにプンプン怒っていた。

 理由は、第18段落に既にある。

刻一刻、気持が暗鬱になった。みんないい人なのだ。誰も、わるい人はいないのだ。私ひとりが過去に於いて、ぶていさいな事を行い、いまもなお十分に聡明ではなく、悪評高く、その日暮しの貧乏な文士であるという事実のために、すべてがこのように気まずくなるのだ。

 
 非合法運動への参加、心中未遂、薬物中毒、大学留年(学費の浪費)あげく除籍、そして家父長の許可なく結婚。それでも食事や寝床を提供してくれる長兄次兄なのである。もちろん母の危篤という事情のなせる業ではあるが。

北さんという人

 作中で最も重要な人物は、私の恩人である北さんである。第2段落において次のように紹介される。

北さんと中畑さんの事は、あの「帰去来」*5という小説に、くわしく書いて置いたけれども、北さんは東京の呉服屋さん、中畑さんは故郷の呉服屋さん、共に古くから私の生家と親密にして来ている人たちであって、私が五度も六度も、いや、本当に、数え切れぬほど悪い事をして、生家との交通を断たれてしまってからでも、このお二人は、謂わば純粋の好意を以て長い間、いちどもいやな顔をせず、私の世話をしてくれた。昨年の夏にも、北さんと中畑さんとが相談して、お二人とも故郷の長兄に怒られるのは覚悟の上で、私の十年振りの帰郷を画策してくれたのである。

 この北さんに関して、私が非常に複雑な感情を抱いていることが作中、幾たびも、語られる。その噛みきれぬ思いたるや、作者の手腕が最も光るところである。ぜひ各々読んでみていただきたい。
 ここに引くのは、なかでもかなり明確に気持ちを述べている箇所であって、場面としてはにあたる、夫婦二人で話をしている第36段落である。

「北さんの好意は、身にしみて、わかっているさ。けれども、北さんが間にはいっているので、僕と兄さんとの仲も、妙にややこしくなっているようなところもあるんだ。どこまでも北さんのお顔を立てなければならないし、わるい人はひとりもいないんだし、――」

 そう、わるい人はひとりもいない、この私ひとりを除いては。ここでまた堂々巡りとなるのである。

 しかし、なにより本作が極めて印象的なのは、この北さんとの「予期せぬ決別じみたシーン」が描かれていることである。夕食後に北さんを送っていく第42段落である。この引用をもって筆をおきたい。

「北さん!」*6私は追いすがるように、二、三歩足を早めて、「何か兄さんに言われましたか?」
「いいえ」北さんは、歩をゆるめて、しんみりした口調で言った。「そんな心配は、もう、なさらないほうがいい。私は、今夜は、いい気持でした。文治さんと英治さんとあなたと、*7立派な子供が三人ならんで坐っているところを見たら、涙が出るほど、うれしかった。もう私は、何も要らない。満足です。私は、はじめから一文の報酬だって望んでいなかった。それは、あなただってご存じでしょう? 私は、ただ、あなた達兄弟三人を並べて坐らせて見たかったのです。いい気持です。満足です。修治さんも、まあ、これからしっかりおやりなさい。私たち老人は、そろそろひっこんでいい頃です」

*8
 
 本作は、新潮文庫から出ている中期の短編集『走れメロス』の一番最後に収められている。

*1:昭和18年1月に『新潮』にて発表された。

*2:父=主なる神の愛の深さを示すたとえ話である。道を違えても最終的に神のもとへ帰ってくるということの大切さも読み取れる。勤勉な兄はというと、もちろん面白くない。しかし父は、お前はずっと私のそばにいることができたではないかと諭す。初めから神の愛を身に受け、そのことをわかって神のもとにいる者は、むしろ幸いなのであり、後から来た者に決して嫉妬などしないというやや高度な説話である。

*3:シェイクスピアである。

*4:これも聖書の言葉である。

*5:昭和18年6月に『八雲』にて発表された。本作『故郷』よりも5か月後の発表ということになる。してみると発表の順序は逆になったということのようである。

*6:!マークが出てくるのは全編中ここだけである。

*7:文治と英治はそれぞれ長兄と次兄の名である。私は修治。

*8:ここに引いた北さんの惜別の言は、むしろこの頃の太宰の心の安寧を示しているようにも思われる。また、汚れなき純真(キリスト教的な愛と言っていいかもしれない)というモチーフは、中期の名作である『走れメロス』ですでに描かれているものでもある。いずれにしても、この北さんの台詞も、実に憎い。