ベッカーは第8章第5節でさらに続けてこう述べる。

- 作者: パウルベッカー,松村哲哉
- 出版社/メーカー: 白水社
- 発売日: 2013/04/18
- メディア: 単行本
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1.和声進行を重視した旋律および構成
ブルックナーの交響曲の主題は、ワーグナーの主題同様水平方向に引き延ばされたハーモニーである。そして、古典派交響曲とのまったく見当違いな比較のせいでよく誤解されるその形式は、最終的に達成される、ハーモニーを中心に据えた展開とのバランスの上に成り立っている。(…)水平方向に目を転じると、主題あるいはメロディーがハーモニーの下から姿を現し、またしばらくするとハーモニーに回帰するといた現象が目に入る。(※太字処理は筆者による)
これはたとえば第7交響曲の冒頭などを思い浮かべるといいかもしれない。
それは純粋にワーグナー風のオーケストレーションと言えるだろう。(…)彼のオーケストラはハーモニーを奏でるためのオーケストラであり、作品の根底にある和声的なアイデアを伝えることをおもな目的として構成されている。(…)オーケストレーションに関して言えば、純粋にハーモニー主体であるという基本的な性格に変わりはない。同じ理由で楽器同士のやりとりは、個別ではなくグループごとに行われる。基盤となるのは金管楽器であり、その上に木管楽器が乗り、一番上が弦楽器である。(※太字処理は筆者による)
主題については基本的には弦五部が中心的存在だとは思うが、ハーモニーに関して言えば確かに金管第一主義であるといえる。いずれにせよ木管軽視の傾向は否めないだろう。*1
3.まとめ
ブルックナーはトレモロやピッツィカートを偏愛と呼べるほど頻繁に使用し、(…)持続低音を多用した。(…)もう十分と思われるほど重厚な和音、心を揺り動かす輝かしい響き、永遠に続くかと思われるようなクライマックスなどを特徴とするブルックナーのオーケストラは、あらゆる制約を乗り越えて、無限の大きさを求めるているように思われる。(…)実際にオーケストラのモデルとしたのはオルガンであり、それを拡大して限りなく豊かな音を実現しようとしたのである。(※太字処理は筆者による)
19世紀の作曲家はヴィルトゥオーゾ系の作曲家が多くいたから(ショパンやリスト等)、どちらかというとそのような方向性での総括となっている。実際、オルガニストとしてキャリアをスタートした作曲家は19世紀ドイツ語圏にはほとんどいない。*2
ベッカーの時代、まだノヴァーク監修による楽曲校訂は行われておらず、そのためいわゆるノヴァーク版*3による演奏などというものは存在しえなかった。ベッカー自身のブルックナー体験の多くはおそらく、弟子たちの改作編集が加えられた楽譜での演奏、そして徐々にではあるが広がりをみせていたハース監修による「原典版」(今日でいうハース版)での演奏を通じて培われたものだと推測される。現代からするとかなり限られた条件とも思われるが、しかしベッカーが描くブルックナー像は極めて整然として明確である。その鋭い指摘は80年経過してもなお色あせない。