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人文系の書籍やクラシック音楽の紹介を中心としたエッセイ集

読書録:自由の哲学者カント カント哲学入門「連続講義」

 自由という視点からみるカント入門書である。


 カントの批判哲学を中心に、宗教哲学や政治哲学も含めて、カントのエッセンスが平易な言葉で次々に明らかにされていく。非常にかみくだいた、わかりやすい表現でカント哲学全体の解説が進んでいくが、一貫して「自由」という観点からカントの思考を追っていくので全体を通して散漫な印象はまったくない。
 
 『判断力批判』(第三批判)を解説する第8章のうち、214ページには次のような一節がある。の判定の前提となる共通感覚の説明のあとに続く箇所である。(傍線は筆者によるもの。)

 思考の三つの主観的な原理の第一の原理は、「自分で考える」という啓蒙の原理でした。第二の原理は「他者の立場になって考える」社交性の原理です。人間は孤独のうちにあっては自由であることはできません。他者との関係のうちにおいてしか、真の意味での自由はないのです。その意味では社交性の原理の土台である共通感覚こそが、自由を可能にする根源的な感覚なのです。

 第三批判において、論理的にやや遊離しがちな概念である共通感覚についても、自由という観点から明快に位置づけられていて非常にわかりやすく納得できる。
 
 ちなみに、の判定については次のように総括される。(傍線は筆者によるもの。)

 伝統的な美学では、あるものを美しいと感じるのは、その対象に秩序や調和などの美がそなわっているからだと考えていました。(・・・)
 たとえばプラトンでは、美しいものは美のイデアを分有していることで美しくなるのであり、美は人間の主観性とは独立したものでした。カントの前に美学という言葉を作ったバウムガルテンですら、美というものは素材のもつ美的な完全性と、主体の側の美的な鑑賞能力の完全性の両方がそなわったときに感受されるものだと考えていました。
 これにたいしてカントは、美というものがそれを感受する人間の側にあるものであること、社会の共通感覚が人間に美という感覚を生み出させるものであることを明確に示したのです。美は対象の側にあるものではなく、それを感じる人間とその社会のうちにあることを示したわけです。それが美学におけるカントのコペルニクス的な転回です。

 西洋美学史におけるカントの意義が非常に簡潔明瞭に述べられている箇所である。*1

*1:補足として、この一節は、佐々木健一の「近世美学の展望」(『講座 美学1』東京大学出版会)を参照しながら次のように締めくくられる。『カントはこれによって近代美学を確立したのですが、それはそれまでの「個人主義、主観主義へと向かう近世美学の動向を集約し、特に<美的なもの>の概念に結晶化した」ことによってであり、「美の現象の重点を、美しいものから美しいと見る主観へと決定的に移し変え」たことによるのです。』