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人文系の書籍やクラシック音楽にまつわるエッセイ集

読書録:ハイデガーの超政治 ナチズムとの対決/存在・技術・国家への問い

 難解と言われるハイデガーをどのように読むべきか。その指針となる極めて重要な著作である。

 本書のテーマは、ハイデガーの提起する「存在の問い」が本来的に備えている政治性についてである。
 序論で存在の問いの意味するところが簡潔明瞭に述べられ*1、つづく第一章で「存在の問い」が元来意図する政治性が明晰に記述される。時間のない読者はここまで読むだけでも十分に得るものがあるが、ハイデガー・ナチズム論に興味のある人は第二章を、技術論国家論に興味のある人は第三章を、戦後の思索に興味のある人は第四章を読みすすめることで、本書が目論む存在の問いの政治性についての理解がより深まっていく。
 
 最終的に著者はハイデガーが1930年代を境に「転回」したという従来の見かたに異議を唱え*2、また巷のハイデガー・ナチズム論争や反ユダヤ主義論争を一蹴する。存在の問いが根源的に孕む政治性を抜きにしてなされる議論は不毛なものであり、著者は没政治的ハイデガー解釈の限界を主張するのである。
 
 全編を通じ、これほどまでに情報が整理され、要点が端的に示されたハイデガー関連本を、私はほかに知らない。本書はハイデガーの著作を読むときの確かな道しるべになりうると断言できる。
 
 ちなみに著者はすでに2017年に講談社現代新書から《ハイデガー存在と時間』入門》を発表しているが、ここに載せきれなかった内容が本書へと結実したとのことである。いずれの著作もハイデガー入門の基本書として極めて重要なものであると思われる。

*1:存在の問いの内容についての著者の読みの深さは尋常ではない。たかだか7ページほどの記述のうちにハイデガーのエッセンスが凝縮されている。

*2:著者は「転回」という語の使用によってハイデガーの思索の方向性の大転換を強調するような論調に懐疑的なのであって、思索の深まりという意味では依然として1930年代が起点であると考えていることは付記しておく。