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人文系の書籍やクラシック音楽にまつわるエッセイ集

タリス・スコラーズのパレストリーナ

 16世紀イタリアを代表する作曲家パレストリーナのミサ曲集。

Tallis Scholars Sing Palestrina

Tallis Scholars Sing Palestrina

 対位法的な声楽作品といえばアルプス以北の作曲家*1によるものがほとんどだった当時、カトリックの中枢ローマで活躍したパレストリーナは稀有な存在だったそうな。タリス・スコラーズの歌声によって対抗宗教改革時代のミサ曲が現代に再びよみがえる。
 ドイツ・プロテスタントルター派*2が会衆のための「コラール*3というジャンルを創出する一方で、パレストリーナのミサ曲は対位法芸術の極致を示している。
 ベースラインの上に次々に積み重ねられていく複数のメロディが、まったくの破綻も来すことなくむしろ無限の広がりをもって、三和音の絶対的な調和のもとに1つとなる。そのサウンドはまさに音響の建築。音世界の理想的な秩序はパレストリーナとともにある。

*1:たとえばギヨーム・デュファイやジョスカン・デ・プレなど

*2:2017年はいわゆるルター『論題』の発表からちょうど500年のメモリアルイヤーである。

*3:会衆が歌いやすいように作られた平易な典礼合唱曲

プロデュースマイスター・ワーグナー

 プロイセン=オーストリア戦争や北ドイツ連邦の成立など、ドイツ国民国家の成立プロセスと並行した時代に書かれ、そして初演された祝祭的な楽劇である。*1

 20世紀の歴史を踏まえたとき、《マイスタージンガー》という作品への向き合い方は一筋縄ではいかないものがある。*2
 ワーグナーの描き方、見せ方の巧みさにはほとほと驚かされるばかりであり、彼が演出するドイツ・ナショナリズムの栄光とその擁護者・守護者への賞賛は実に印象的で雄弁である。であるからこそ、極めて危険である。
 こういった作品にこそ多様で現代的な演出が求められるともいえよう。様々の解釈*3に耐えうる圧倒的な音楽の力が満ちみちているのだから。《マイスタージンガー》はまさにドイツ語のうた[Gesang]の宝庫。

*1:初演から3年後の1871年にはドイツ帝国が成立する。

*2:ナチスドイツのプロパガンダとして、ワーグナー作品は常にその筆頭であった。

*3:私個人的にはやはり、輪廻転生や罪と罰、救済といったテーマを扱う『パルジファル』の多様な解釈と演出にも大いに興味関心がある。

現代最高の合唱曲作曲家

 タリス・スコラーズの来日演奏会で聞いて以来ずっと耳に残っていたアルヴォ・ペルトの合唱作品。
  

Part: Tintinnabuli

Part: Tintinnabuli

 恐るべき深淵が聞こえる。半音どうしの硬質な響きと単純化された三和音の響きが相互に増幅しあう。聞いたこともないサウンドが深々と広がる。
 現代における、ある種のスピリチュアルな音楽かもしれない。作曲者の静かなまなざしは、驚くべき深みをもってわれわれを射抜く。

 聞きながら、イタリアの後期ルネサンス期の作曲家カルロ・ジェズアルドの、強烈な不協和音を含みもつ合唱曲も思い出した。

晩夏、ルオー巡礼の旅

 一目ぼれであった。

ルオー (新潮美術文庫 40)

ルオー (新潮美術文庫 40)

 2012年にブリヂストン美術館で初めてジョルジュ・ルオーの油彩画を見た。
 その時の衝撃がずっと脈打っていて、今年になってまたふつふつと、彼の絵*1を直接この目で見たくおもって、この晩夏の休暇で出光美術館と汐留ミュージアムへ出かけた。
 画集もあるが、絵が占めている(秘めている)空間や時間、迫りくるもの、息づかいをきちんと感覚するには生で見る他ない。
 そんなことも感じながら、見つめかえしてくる絵をじっと一人で黙々見ていた。

*1:とりわけ宗教画(≪ミセレーレ≫や≪受難≫など)に強く惹かれている。

6つのパルティータ ― バッハ風のリスペクト

 彼の演奏する≪パルティータ≫はどうしても聞きたかった。ようやくCDを手に入れることができた。

バッハ:パルティータ(全曲)

バッハ:パルティータ(全曲)

 バッハはこの6つのパルティータ*1*2の調性をそれぞれ次のように設定している。

第1番 変ロ長調 [B](♭♭)
第2番 ハ短調  [c](♭♭♭)
第3番 イ短調  [a]( - )
第4番 ニ長調  [D](♯♯)
第5番 ト長調  [G](♯)
第6番 ホ短調  [e](♯)

 一見するとランダムな調性の羅列だが、Bから2度上でC、Cから3度下でA、Aから4度上でD、Dから5度下でG、Gから6度上でE、*3というわけである。*4

 しかしなぜ変ロ長調[B]から始めたのか?
 それはバッハの仕事上*5の前任者そしてドイツ音楽界の重鎮ヨハン・クーナウの≪新クラヴィーア練習曲集*6の跡を継いだからなのである。
 クーナウの曲集は第1巻・第2巻ともに7つのパルティータで構成されており、その調性はC→D→E→F→G→A→なのである。*7
 (以上CDブックレットより)

 鈴木雅明さんのオルガン・チェンバロの演奏は心から敬愛してやまない。
 テンポやリズム感、その語り口、胸のすくような気持ちがして爽快であり、知的であり、情熱的である。バッハへの敬愛に満ち、ここまで生き生きとした演奏を他に知らない。
 とりわけ第4番ニ長調パルティータの第1曲「序曲」が一番のお気に入りである。音楽の喜び、本当の自由がある。

*1:パルティータとは「複数の種別の舞曲に基づいた、組曲形式の楽曲」である。

*2:バッハの組曲は往々にして「6つセット」である。これは6という数字が完全数であるからともいわれている。

*3:6度上に到達したところが最後のホ短調第6番とみることもできる。

*4:前半3つはフラット系で後半4つはシャープ系の調性構造とみることもできる。

*5:ライプツィヒの聖トーマス教会カントル(≒ライプツィヒ音楽監督)

*6:第1巻は1689年出版、第2巻は1692年出版である。

*7:クーナウの死によるトーマス・カントルの空席を受けて、バッハは現在のドイツ東部ザクセン州のケーテン侯国から同じく現在のザクセン州ライプツィヒへと移り住んだ。バッハはこのライプツィヒの時代に200を超えるカンタータ、そして≪インヴェンション≫≪平均律クラヴィーア曲集≫≪ゴルドベルク変奏曲≫といった円熟の作品群を遺すこととなる。