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人文系の書籍やクラシック音楽にまつわるエッセイ集

コープマンのブランデンブルク協奏曲

 合奏の楽しみが凝縮された傑作協奏曲群。

バッハ:ブランデンブルク協奏曲(全6曲)

バッハ:ブランデンブルク協奏曲(全6曲)

 調性と独奏楽器は以下の通り。*1

  • 第4番 ト長調 ヴァイオリン、リコーダー2

 ヴィオラ・ダ・ガンバ(脚のヴィオラ*4

 とりわけ第5番の第1楽章のチェンバロカデンツァを初めて聞いたときの感動は忘れられない。コープマンは激しく緩急をつけながら、軽やかに実に楽しげに、聞き手を魅了する。圧倒的な迫力だった。当時私は14歳だったが、その衝撃は今でも鮮やかだ。
 どのナンバーも音楽の楽しみに満ちているが、今は第4番が一番のお気に入りである。独奏部分の超絶技巧のみならず最終楽章の対位法的な展開と広がりは、聞くたびごとに胸のすく思いがする。

*1:合奏協奏曲であるため独奏楽器は複数あり、入れかわり立ちかわり名人芸を披露する。

*2:小型ヴァイオリン

*3:チェンバロ通奏低音としてだけではなく独奏楽器としても活躍させるというのは当時としては異例のことであった。近代の独奏協奏曲と同様に長大なカデンツァを含みもつ。

*4:バロック時代に用いられた弦楽器の一種であり、楽器は脚で挟んで保持し、弦は6つ、フレット付き、弓は逆手に持つなど極めて特徴的な古楽器。典雅でひなびた音色を持ちながらも音量が小さくまた主に宮廷で用いられていたこともあって、近代以降は廃れた。

タリス・スコラーズのパレストリーナ

 16世紀イタリアを代表する作曲家パレストリーナのミサ曲集。

Tallis Scholars Sing Palestrina

Tallis Scholars Sing Palestrina

 対位法的な声楽作品といえばアルプス以北の作曲家*1によるものがほとんどだった当時、カトリックの中枢ローマで活躍したパレストリーナは稀有な存在だったそうな。タリス・スコラーズの歌声によって対抗宗教改革時代のミサ曲が現代に再びよみがえる。
 ドイツ・プロテスタントルター派*2が会衆のための「コラール*3というジャンルを創出する一方で、パレストリーナのミサ曲は対位法芸術の極致を示している。
 ベースラインの上に次々に積み重ねられていく複数のメロディが、まったくの破綻も来すことなくむしろ無限の広がりをもって、三和音の絶対的な調和のもとに1つとなる。そのサウンドはまさに音響の建築。音世界の理想的な秩序はパレストリーナとともにある。

*1:たとえばギヨーム・デュファイやジョスカン・デ・プレなど

*2:2017年はいわゆるルター『論題』の発表からちょうど500年のメモリアルイヤーである。

*3:会衆が歌いやすいように作られた平易な典礼合唱曲

プロデュースマイスター・ワーグナー

 プロイセン=オーストリア戦争や北ドイツ連邦の成立など、ドイツ国民国家の成立プロセスと並行した時代に書かれ、そして初演された祝祭的な楽劇である。*1

 20世紀の歴史を踏まえたとき、《マイスタージンガー》という作品への向き合い方は一筋縄ではいかないものがある。*2
 ワーグナーの描き方、見せ方の巧みさにはほとほと驚かされるばかりであり、彼が演出するドイツ・ナショナリズムの栄光とその擁護者・守護者への賞賛は実に印象的で雄弁である。であるからこそ、極めて危険である。
 こういった作品にこそ多様で現代的な演出が求められるともいえよう。様々の解釈*3に耐えうる圧倒的な音楽の力が満ちみちているのだから。《マイスタージンガー》はまさにドイツ語のうた[Gesang]の宝庫。

*1:初演から3年後の1871年にはドイツ帝国が成立する。

*2:ナチスドイツのプロパガンダとして、ワーグナー作品は常にその筆頭であった。

*3:私個人的にはやはり、輪廻転生や罪と罰、救済といったテーマを扱う『パルジファル』の多様な解釈と演出にも大いに興味関心がある。

現代最高の合唱曲作曲家

 タリス・スコラーズの来日演奏会で聞いて以来ずっと耳に残っていたアルヴォ・ペルトの合唱作品。
  

Part: Tintinnabuli

Part: Tintinnabuli

 恐るべき深淵が聞こえる。半音どうしの硬質な響きと単純化された三和音の響きが相互に増幅しあう。聞いたこともないサウンドが深々と広がる。
 現代における、ある種のスピリチュアルな音楽かもしれない。作曲者の静かなまなざしは、驚くべき深みをもってわれわれを射抜く。

 聞きながら、イタリアの後期ルネサンス期の作曲家カルロ・ジェズアルドの、強烈な不協和音を含みもつ合唱曲も思い出した。

晩夏、ルオー巡礼の旅

 一目ぼれであった。

ルオー (新潮美術文庫 40)

ルオー (新潮美術文庫 40)

 2012年にブリヂストン美術館で初めてジョルジュ・ルオーの油彩画を見た。
 その時の衝撃がずっと脈打っていて、今年になってまたふつふつと、彼の絵*1を直接この目で見たくおもって、この晩夏の休暇で出光美術館と汐留ミュージアムへ出かけた。
 画集もあるが、絵が占めている(秘めている)空間や時間、迫りくるもの、息づかいをきちんと感覚するには生で見る他ない。
 そんなことも感じながら、見つめかえしてくる絵をじっと一人で黙々見ていた。

*1:とりわけ宗教画(≪ミセレーレ≫や≪受難≫など)に強く惹かれている。