趣味愉楽 詩酒音楽

人文系の書籍やクラシック音楽にまつわるエッセイ集

回想:ザンクト・フローリアン修道院への旅

 アントン・ブルックナーのファンであればぜひ行きたい場所の1つ、ザンクト・フローリアン修道院。ウィーンからの日帰り旅をまとめてみる。*1もちろん、基本的な情報は『地球の歩き方』に載っているし、ネットで「ザンクトフローリアン」と検索すれば旅ブログも複数見つかる。(以下、2018年6月時点での情報)

ウィーン中央駅の券売機で「リンツ行き・往復」のチケットをクレジット購入する

・「東京-新大阪」のようにあらかじめ行き先表示されていたので操作は思ったほど難しくはない(クレカを挿入して暗証番号4桁を入力すれば支払い完了(クレカ払い以外不可だったように記憶している。))
・「往復」は Hin und Zurūck ヒン ウント ツリュック
・ちなみに、スタッフがいる購入窓口は長蛇の列で、数時間待ちも当然といった様子(現地人はスタッフとあれやこれや相談しながら行程を決めていく(その過程で鉄道チケットを購入する)というのは本当だった。)

リンツ中央駅に到着~バスへ乗車する

・バスターミナルは1つだけ(駅直結なので案内表示に沿って進めばそのままターミナル)
・途中に駅の案内所(観光案内所)があったので「ザンクト・フローリアン修道院へはどうやって行ったらいいか?」と念のため確認(スタッフはもちろん英語OK)*2
・『地球の歩き方』に掲載されているとおり410番系統のバス乗り場へ*3
・この時点では地図アプリやネットで調べても、結局どのバス停で降りればいいのか釈然としなかった*4ので、バスの運転手には「ザンクト・フローリアン修道院へ、往復で」と言って乗車券を購入(定期券やフリーパスではなく1回券を買うのであれば、バスに乗るときに購入する仕組みのようだった。)

修道院付近で下車する

修道院は丘の上にあるが、丘の下から続く修道院通り Stift Straße シュティフト シュトラーセ を歩いていくなら St. Florian Einsatzzentral ザンクト フローリアン アインザッツ ツェントラル で下車(こちらをおすすめ、ただしバスが来た方向へ1ブロック戻って右折して修道院通りへ入るので、念のため事前にオフラインでも使える地図アプリの導入確認を推奨)
修道院裏手の町中心部から向かうなら St. Florian Gendarmerieplatz ザンクト フローリアン ゲンダーメリープラッツ で下車
※ちなみに帰りは、修道院正門出てすぐにあるバス停(1つしかないから迷いようがない)からバスに乗ればOK)



Bruckner Organ of St Florian

Bruckner Organ of St Florian



 せっかく来たならオルガンコンサートガイドツアー(説明はドイツ語だがスタッフのおばちゃんは流暢な英語でも説明してくれる。)は必須。修道院教会のオルガンはもちろん素晴らしかったし、修道院の作り自体、日本ではまずお目にかかれないようなものであり非常に印象的だった。
 とりわけ修道院秘蔵の聖画集アルブレヒト=アルトドルファー作)*5はこのツアー以外では見ることができない。基本的には非公開なのである。展示室への滞在が許されるのはわずか10分足らず。照明の点灯時間は可能な限り短くされ、温湿度が徹底管理された聖画は驚くべきほど色鮮やかだった。とても16世紀のものとは思えないほど良好な保存状態だった。本当に価値あるものは、現地でなければ見られないことを痛感したものである。
 

*1:この文章自体は2019年の6月に書いたものだが、埋もれてしまっていた。つい最近になって発見したので少し手直しして公開することにした。(2020年8月10日)

*2:ちなみにスタッフがどのように答えてくれたか、はっきりとは覚えていない。回答内容よりむしろその男性スタッフがすがすがしいほどダルそうに対応してくれたことのほうが印象的だった。無料の案内所なのだから当然である。

*3:間違いないと思っていてもやはりたくさんのバス路線を目の当たりにすると不安になってくるもので、410番系統のバスが来て運転手から切符を購入するまで、本当にこの路線であっているのか、かなり落ち着かなかった。

*4:丘の上の修道院を取り囲むように住宅地や市街地が広がっており、それに沿うようにバス停が数か所設置されており、要するに丘の手前で降りるか奥で降りるかの違いだけなのだが、この時点ではそこまでの地理情報がなく、はっきりいってよくわからなかった。

*5:キリスト・イエスの誕生から死と復活までを描く聖画が8枚、壁一面に飾られている。

サラリーマン・バッハ

 ブルックナーの生涯は実に淡々としたものだが、同じく教会音楽家であるバッハの生涯も大したドラマはない。
 
 18歳でヴァイマルの宮廷への就職を手始めに、その後はアルンシュタットミュールハウゼン等、しばらく勤務先を転々とする。転々とするといってもドイツの中東部エリアを出ることはない。
 ちょうど二十歳の頃、1か月の休暇をとってリューベックへオルガン武者修行に行くも、勝手に4か月も休暇を延長し、戻ってから上層部にボロクソに怒られるといったやんちゃエピソードがせいぜいといったところ。

 23歳のとき、ヴァイマルの宮廷に再就職し、ここには32歳まで勤務する。この時期から器楽作品やカンタータの作曲が本格化する。32歳からはケーテンの宮廷で楽長を務める。有名な器楽作品の多くがこの時期に生まれた。
 そして1723年、38歳のときにライプツィヒに就職する。これは、町の音楽監督であり教会学校(初等中等教育施設)の先生でもあるカントル職を務めるということを意味し、日々の典礼音楽の作曲上演に忙殺されることとなるが、生来の性格ゆえか、ことあるごとに市当局と衝突した。しかし結局は1750年に65歳で亡くなるまでずっとライプツィヒで暮らすことになる。

 バッハが生涯を通じて書き続けたのはオルガン、チェンバロのための作品及び教会カンタータである。30歳くらいまでの作品には斬新なハーモニーが盛りだくさんでエネルギッシュ。晩年になるにつれて角はとれて円熟はますます深みを増すが、それはそれ。若いころの作品はその時期特有のパワーに満ち満ちている。

バッハ事典 (全作品解説事典)

バッハ事典 (全作品解説事典)

読書録:13歳からのアート思考

 どちらかと言うと現代美術史入門本として僕は読んだ。
 

 20世紀のアートの歴史は、カメラが登場したことによって浮き彫りになった、「アートにしかできないことはなにか」という問いからはじまりました。
 そこから、マティスは「目に映るとおりに描くこと」、ピカソは「遠近法によるリアルさの表現」、カンディンスキーは「具象物を描くこと」、デュシャンは「アート=視覚芸術」といった固定観念からアートを解き放ってきました。

 そしてについてポロックは、《ナンバー1A》によって、アートを「なんらかのイメージを映し出すためのもの」という役割から解放しました。これによって絵画は、「ただの物質」でいることを許されたのです。

 詩、音楽、演劇といった分野でも同様にモダニズムアヴァンギャルドの潮流は20世紀を特徴づけている。もちろん新ロマン主義的な傾向や超写実主義的な傾向もあったわけだが、モダニズムアヴァンギャルドへの応答あるいは対抗という側面も否定できないだろう。

読書録:すぐわかる!4コマ西洋音楽史2

 82ページの記述を引用。

 いち早く立憲君主制による統治が成立し、産業革命が始まったイギリスにおいて、オルガニストで作曲家、音楽教師として活躍していたチャールズ・バーニーは、1776年から1789年にかけて、全4巻からなる『音楽通史』という本を著しました。この本は近代的な音楽史の基礎を築いたと言われています。『音楽通史』の第1巻には、音楽について、こう書かれていました。
 「音楽は罪のない贅沢であって、私たちの生活にとっては確かに不必要なものであるが、聴覚を大変発達させ、満足させてくれる」。それより約100年前に、平均律の先駆けとも言われる鍵盤楽器の調律法を考え出した、ドイツのオルガニストアンドレーアス・ヴェルクマイスターは、『高貴な音楽芸術の価値、使用、濫用』という著書の中でこう語っていました。「音楽は、神の賜物で、神の栄光のためにのみ用いられるべきもの」。わずか100年の間に、音楽に対する価値観は、「神の賜物、神のためのもの」から、「さまざまな人々が楽しめる罪のない贅沢」へと大きく変わったのです。
(※文字色、フォント改変は筆者による)

 ドイツとイギリスという地域差はあれど、オルガニストというかなり保守的な分野の音楽家の記述の対比という点で非常に興味深い。
 

バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1巻(クリストフ・ルセ)

 24の前奏曲とフーガをバランスよく1つの体系にまとめあげた稀有な演奏である。

J.S.BACH/ DAS WOHLTEMPERIERTE KLAVIER

J.S.BACH/ DAS WOHLTEMPERIERTE KLAVIER


 24曲の始まりから終わりまで、まったく途切れることがない。各曲の特徴や持ち味はもちろん感じさせながらも、決して聞き疲れることがなく、1つの大きな流れに沿って調性の森を歩んでいく。ハ長調からロ短調まで、これほどまでに一貫した音楽の流れが聞こえてくるのは、奏者の妙技であろうか。先に第2巻を録音したというのも、やはりこの第1巻の根底にある音楽の流れの一貫性が最大の難所であったからであろうか。
 ルッカース*1チェンバロ*2の響きも格別のものである。気になる雑味は一切なく、清廉高貴、どこまでも瑞々しい弦の響きに魅了される。

*1:Joannes Ruckers 1578-1642 アントワープの製作家

*2:2009年にAlain Anselmによって1706年時点の状態に可能な限りレストアされたものだということである(CDブックレットより)