趣味愉楽 詩酒音楽

人文系の書籍やクラシック音楽にまつわるエッセイ集

コメディアンの居場所/モダン・タイムス

 何度でも観かえしたくなる、傑作喜劇である。

モダン・タイムス [DVD]

モダン・タイムス [DVD]

 誰にでも、これだと思える道がある。
 さればこそ、追われるこの身のかなしさよ。

 道化師は、泣きながら、笑う。

20世紀前半のダブルB

 バルトークとベルクの作品にはとても惹かれる。
 理知的なものと情感とのバランスに非常に親しみを感ずる。
 作曲のレパートリーをみるかぎりでは、バルトークのほうがいくぶん器用なタイプだったのかもしれない。しかし一方で世紀転換期の、伝統と前衛が入り混じるあのウィーンの街で生まれ育ったベルクの音楽には、ある種の異様な魅力がつきまとう。
 

Berg, Webern & Schönberg: Chamber Music

Berg, Webern & Schönberg: Chamber Music


 たとえその大部分で前衛的な手法が用いられていたとしても、ベルクの音楽には必ず悪魔的・魅惑的な歌が散りばめられている。『ヴォツェック』や『ルル』といったオペラ作品をみるまでもなく、この『抒情組曲』と名づけられた弦楽四重奏曲には妖艶にきらめく歌の翳りがある。

中也と海

 中原中也の詩にはしばしば「海」が登場する。
 詩人晩年の ―とはいえ享年三十だが― 草稿詩篇の1つはこう語る。

お天気の日の海の沖では
子供が大勢遊んでゐます
お天気の日の海をみてると
女が恋しくなって来ます


女が恋しくなるともう浜辺に立つてはゐられません
女が恋しくなると人は日蔭に帰つて来ます
日蔭に帰つて来ると案外又つまらないものです
それで人はまた浜辺に出て行きます


それなのに人は大部分日蔭に暮します
何かしようと毎日々々
人は希望や企画に燃えます


さうして働いた幾年かの後に、
人は死んでゆくんですけれど、
死ぬ時思ひ出すことは、多分はお天気の日の海のことです

 1934年11月29日のものである。中也が二十七歳のころ、ちょうど同じ年の10月に長男誕生を受けての作である。
 二十七でこの境地に至るものかと。
 そんな私も今年ちょうど二十七なのでありました。

中原中也全詩集 (角川ソフィア文庫 360)

中原中也全詩集 (角川ソフィア文庫 360)

6つのパルティータ

 6つの組曲形式のうちに、ありとあらゆるバッハを聞く。

Bach: 6 Partitas

Bach: 6 Partitas

 変ロ長調ハ短調イ短調ニ長調ト長調ホ短調
 最後のホ短調は、まさに壮絶。
 当時ありえた形式の枠組みのなかで、作曲者はこれほどまでにも自由に、豊かに、語る。
 職人芸が積みかさねられた先には、ミクロコスモスが宿る。

乏しき時代に

 フリードリヒ・ヘルダーリン(1770~1843)は『パンと酒』第7節でこう述べる。

惨めな時代になんのための詩人か 私は知らない。


 しかし、詩人は呼びかけに応え、証しする。

詩人の魂は長らく 限りない存在に
なじんでいたが 突然の衝撃に襲われて 記憶に
ゆり動かされ 神聖な光芒に点火され やがて魂から
愛の結実が 神と人との作り成した歌がめでたく誕生し 神人双方を証しする。
                            (『祭の日の…』より)


 しかし、近しさこそが困難である。

近くにあって
たしかめるよすがもないのは 神。
                            (『パトモス』より)


 不在を告げ知らせるのもまた詩人である。
 しかし、詩人はこうも述べる。

心ははずむ しかし言葉はついて行かない。
だが 絃楽はすべての時に音を恵み
近づく天上の者に 喜びを与えもしよう。
                            (『帰郷』より)

ヘルダーリン詩集 (岩波文庫)

ヘルダーリン詩集 (岩波文庫)