何度でも観かえしたくなる、傑作喜劇である。
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誰にでも、これだと思える道がある。
さればこそ、追われるこの身のかなしさよ。
道化師は、泣きながら、笑う。
何度でも観かえしたくなる、傑作喜劇である。
誰にでも、これだと思える道がある。
さればこそ、追われるこの身のかなしさよ。
道化師は、泣きながら、笑う。
バルトークとベルクの作品にはとても惹かれる。
理知的なものと情感とのバランスに非常に親しみを感ずる。
作曲のレパートリーをみるかぎりでは、バルトークのほうがいくぶん器用なタイプだったのかもしれない。しかし一方で世紀転換期の、伝統と前衛が入り混じるあのウィーンの街で生まれ育ったベルクの音楽には、ある種の異様な魅力がつきまとう。
Berg, Webern & Schönberg: Chamber Music
たとえその大部分で前衛的な手法が用いられていたとしても、ベルクの音楽には必ず悪魔的・魅惑的な歌が散りばめられている。『ヴォツェック』や『ルル』といったオペラ作品をみるまでもなく、この『抒情組曲』と名づけられた弦楽四重奏曲には妖艶にきらめく歌の翳りがある。
中原中也の詩にはしばしば「海」が登場する。
詩人晩年の ―とはいえ享年三十だが― 草稿詩篇の1つはこう語る。
お天気の日の海の沖では
子供が大勢遊んでゐます
お天気の日の海をみてると
女が恋しくなって来ます
女が恋しくなるともう浜辺に立つてはゐられません
女が恋しくなると人は日蔭に帰つて来ます
日蔭に帰つて来ると案外又つまらないものです
それで人はまた浜辺に出て行きます
それなのに人は大部分日蔭に暮します
何かしようと毎日々々
人は希望や企画に燃えます
さうして働いた幾年かの後に、
人は死んでゆくんですけれど、
死ぬ時思ひ出すことは、多分はお天気の日の海のことです
1934年11月29日のものである。中也が二十七歳のころ、ちょうど同じ年の10月に長男誕生を受けての作である。
二十七でこの境地に至るものかと。
そんな私も今年ちょうど二十七なのでありました。
フリードリヒ・ヘルダーリン(1770~1843)は『パンと酒』第7節でこう述べる。
惨めな時代になんのための詩人か 私は知らない。
しかし、詩人は呼びかけに応え、証しする。
詩人の魂は長らく 限りない存在に
なじんでいたが 突然の衝撃に襲われて 記憶に
ゆり動かされ 神聖な光芒に点火され やがて魂から
愛の結実が 神と人との作り成した歌がめでたく誕生し 神人双方を証しする。
(『祭の日の…』より)
しかし、近しさこそが困難である。
近くにあって
たしかめるよすがもないのは 神。
(『パトモス』より)
不在を告げ知らせるのもまた詩人である。
しかし、詩人はこうも述べる。
心ははずむ しかし言葉はついて行かない。
だが 絃楽はすべての時に音を恵み
近づく天上の者に 喜びを与えもしよう。
(『帰郷』より)