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人文系の書籍やクラシック音楽にまつわるエッセイ集

読書録:13歳からのアート思考

 どちらかと言うと現代美術史入門本として僕は読んだ。
 

 20世紀のアートの歴史は、カメラが登場したことによって浮き彫りになった、「アートにしかできないことはなにか」という問いからはじまりました。
 そこから、マティスは「目に映るとおりに描くこと」、ピカソは「遠近法によるリアルさの表現」、カンディンスキーは「具象物を描くこと」、デュシャンは「アート=視覚芸術」といった固定観念からアートを解き放ってきました。

 そしてについてポロックは、《ナンバー1A》によって、アートを「なんらかのイメージを映し出すためのもの」という役割から解放しました。これによって絵画は、「ただの物質」でいることを許されたのです。

 詩、音楽、演劇といった分野でも同様にモダニズムアヴァンギャルドの潮流は20世紀を特徴づけている。もちろん新ロマン主義的な傾向や超写実主義的な傾向もあったわけだが、モダニズムアヴァンギャルドへの応答あるいは対抗という側面も否定できないだろう。

読書録:すぐわかる!4コマ西洋音楽史2

 82ページの記述を引用。

 いち早く立憲君主制による統治が成立し、産業革命が始まったイギリスにおいて、オルガニストで作曲家、音楽教師として活躍していたチャールズ・バーニーは、1776年から1789年にかけて、全4巻からなる『音楽通史』という本を著しました。この本は近代的な音楽史の基礎を築いたと言われています。『音楽通史』の第1巻には、音楽について、こう書かれていました。
 「音楽は罪のない贅沢であって、私たちの生活にとっては確かに不必要なものであるが、聴覚を大変発達させ、満足させてくれる」。それより約100年前に、平均律の先駆けとも言われる鍵盤楽器の調律法を考え出した、ドイツのオルガニストアンドレーアス・ヴェルクマイスターは、『高貴な音楽芸術の価値、使用、濫用』という著書の中でこう語っていました。「音楽は、神の賜物で、神の栄光のためにのみ用いられるべきもの」。わずか100年の間に、音楽に対する価値観は、「神の賜物、神のためのもの」から、「さまざまな人々が楽しめる罪のない贅沢」へと大きく変わったのです。
(※文字色、フォント改変は筆者による)

 ドイツとイギリスという地域差はあれど、オルガニストというかなり保守的な分野の音楽家の記述の対比という点で非常に興味深い。
 

バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1巻(クリストフ・ルセ)

 24の前奏曲とフーガをバランスよく1つの体系にまとめあげた稀有な演奏である。

J.S.BACH/ DAS WOHLTEMPERIERTE KLAVIER

J.S.BACH/ DAS WOHLTEMPERIERTE KLAVIER


 24曲の始まりから終わりまで、まったく途切れることがない。各曲の特徴や持ち味はもちろん感じさせながらも、決して聞き疲れることがなく、1つの大きな流れに沿って調性の森を歩んでいく。ハ長調からロ短調まで、これほどまでに一貫した音楽の流れが聞こえてくるのは、奏者の妙技であろうか。先に第2巻を録音したというのも、やはりこの第1巻の根底にある音楽の流れの一貫性が最大の難所であったからであろうか。
 ルッカース*1チェンバロ*2の響きも格別のものである。気になる雑味は一切なく、清廉高貴、どこまでも瑞々しい弦の響きに魅了される。

*1:Joannes Ruckers 1578-1642 アントワープの製作家

*2:2009年にAlain Anselmによって1706年時点の状態に可能な限りレストアされたものだということである(CDブックレットより)

バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1巻(曽根麻矢子)

 使用楽器:ヨハン・ハインリヒ・グレーブナー(ドレスデン)が1739年に製作した楽器(ピルニッツ城所蔵)をモデルにデイヴィット・レイが2005年に製作したジャーマン・タイプ・チェンバロ
 調律法:マルプルグ調律法*1を基本に独自アレンジを加え、マルプルグ調律法が合わないと感じられた曲についてはヴァロッティ調律法をアレンジしたもの
(使用楽器と調律法について、ブックレットの解説より抜粋)

バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1巻

バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1巻

 端正優美な語り口、揺るがぬ構成とテンポ感、そして隅々まで行きとどいたフレージングでもって各調を歩むその音楽は、実にいきいきとして雄弁である。そして、透明感あふれる楽器の音色は、奏者独自の調律法によっていっそう魅力的に響く。

 

*1:マルプルグ調律法について、筆者はこのCDを通じて初めて知ったのだが、聞いてみたところ、ミーントーン寄りの響きが印象的である。導音を低めにし、第3音の純正度を高めた調律法であろうか。フリードリヒ・ヴィルヘルム・マルプルグ(1719-1795)が考案した調律法と思われる。(この調律法についての日本語の解説は、おそらく存在しないようにも思われる。)

読書録:バロック音楽を考える

 西洋音楽史の概説本を通読し、もう少しバロック時代について深めたい人向け。

バロック音楽を考える Rethinking Baroque Music

バロック音楽を考える Rethinking Baroque Music

  • 作者:佐藤 望
  • 発売日: 2017/04/08
  • メディア: 単行本

 第4章の音律論及び調律論はとりわけ有益である。
 古典旋法において次第に臨時記号が多用されるにつれて転調という要素が重要になり、6つの主音に基づく6つの旋法(カントゥスドゥルス)が3つの長3度系と3つの短3度系にまとめられ、それらが長調短調へと二分化されていったことで、旋法の多様性よりも多彩な転調によるダイナミックな音楽作りが主流となっていったことが明快に記述されている。
 音律が6から2へと単純化される反面、転調の多様性を強調するという時代の流れの中で、鍵盤楽器の調律も転調の可能性を拡張する方向で研究が進む。それまでシャープ3つ程度、フラット2つ程度が限界だった調律方法(ミーントーン)において、第3音の純正性を切り崩して他の調へと充てがうことで、鍵盤楽器における12の調性が実現可能となった。(ヴェルクマイスターキルンベルガーらの12音非平均律の調律法は特に有名。)他方で、現代に通じる12音平均律がすでに16世紀に考案されていたというのは驚きである。比率計算の実際上、無理数平方根を扱うこととなったため、その実用化*1は数学の発展を待つことになったというのも興味深い。

*1:理論上は実用可能というだけであって、実際には19世紀に入っても12音平均律主流だった。人々は各調固有の響きが残る12音非平均律の調律(それはヴェルクマイスターやキルンベルガーらが考案したもののアレンジであったことだろう)を好んだのである。一方で、トリスタン和音で名高いワーグナーがさらに調性世界を拡張したことで、12音平均律は19世紀末頃からその存在感を増していったとみることもできようか。