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人文系の書籍やクラシック音楽の紹介を中心としたエッセイ集

読書録:弁論術(アリストテレス)

 ひとはよいものに惹かれる。ひとはよいものを求める。よいものとは何か。
 アリストテレスは『弁論術』第1巻の第6章において、疑いようもなくよいものを10点列挙している。

  1. 幸福
  2. 精神の徳(正義、勇気、節制、寛大、鷹揚)
  3. 身体の徳(健康、美しさ)
  4. 富(所有における優秀性)
  5. 友と友情
  6. 名誉、名声
  7. 語る能力と行動する能力
  8. 恵まれた素質(記憶力、理解のよさ、鋭敏さ)
  9. 知識、技術、生きること*1
  10. 正しさ(公共的観点における)

よいものの定義とは

 ここから何を導き出すことができるだろうか。アリストテレスよいものについておおむね次のように定義する。

ただそのもの自体が目的で選ばれるもの、また、われわれが他のものを選ぶ時の目的となるもの、また、すべてのものが、或いは、感覚もしくは知性を持っているものがすべて求めているもの(・・・)、さらにまた、それが手許にある時には人がよい状態に置かれ、自ら満ち足りているようなもの、また、それだけで足りるもの、また、今挙げたようなよいものどもを作り出すか、もしくは維持するようなもの、また、それらよいものが結果としてつき随うもの、また、それらとは反対のものを阻止し、滅ぼすようなもの、このようなものがよいものである。

 よいとされるものについての見事な定義づけである。これ以上でも以下でもない、まったく過不足のない記述のように思われる。また、目的というキーワードが一番初めに出てくるのもまさにアリストテレスらしい。
 
 とはいえアリストテレスはこの規定に自ら満足しなかったようで、このあとさらにといったキーワードを示しながら定義を拡張していくのだが、注目したいのは次の箇所である。

また、快楽もよいものでなければならない。なぜなら、動物はすべて生まれながらにして快楽を求めるからである。それゆえ、快いものも美しいものも、共によいものだということになる。なぜなら、快いものは快楽を作り出すし、一方美しいものも、その或るものは快いものであるし、或るものはそれ自体で(無条件に)望ましいものだからである。

 善や徳につづけてアリストテレスについて述べる。生きものの本質としての快への欲求は否定されるべきものではなく、むしろと同列に語られるべき「よいもの」である。冷静でありながらも非常に生き生きとして人間味あふれる定義であり、ここにアリストテレス流のリアリズムを見いだすのはたやすいだろう。
 
 ちなみに、この箇所の後半部分の読み方について、訳者註によれば次のとおりである。

ここで美しいもの(ta kala)が二つに分けられているが、その一つは、例えば身体の美しさがそうで、これはその自体として望ましい(したがって、よい)のではなく、快いがゆえに、その快楽によって望ましいのである。これに対し、いま一つは、道徳的優秀性で、これはそれ自体が(無条件で)望ましい。

 要するに、こういうことである。

【P】快楽はよいものである。
   (なぜなら快楽はすべての動物の本来的な性質だから)
 (A)快いものはよいものである。
   (なぜなら快いものは快楽を作り出すから)
 (B)美しいものはよいものである。
   (x) なぜなら美しいもののうち
     あるもの(身体美)は快いものだから
   (y) なぜなら美しいもののうち
     あるもの(精神美)はそれ自体で(無条件に)望ましいものだから

※(y)については 、よいものの定義の冒頭の「ただそのもの自体が目的で選ばれるもの」あるいは「それが手許にある時には人がよい状態に置かれ、自ら満ち足りているようなもの、また、それだけで足りるもの」という箇所を参照すべきもののように思われる。

美しいものの定義とは

 アリストテレス自身は美しいものについてどのように考えていたのだろうか。
 『弁論術』第1巻の第9章において、美しいものは次のように定義される。

美しいものとは、すべて、それ自体望ましいものであって、かつ賞讃に値するもの、或いは、よいものであって、しかも、よくあるがゆえに快いもの、がそうである。

 アリストテレスが真っ先に挙げる美しいものとは、(精神の徳)である。なぜならば『それはよいものであって、しかも賞讃に値するから』である。正義、勇気、節制といった人格的な徳、これこそが疑念の余地なく美しいものであって、アリストテレスはこれについて十数点にも上る具体例を列挙しながら徳の美しさについて(延々と)述べるのであるが、その列挙の終盤において、やや趣の異なる例が示される。

利を生まない所有物は美しい。なぜなら、それらはより自由人に相応しいものだから。

 これについて、訳者註によれば次のとおりである。

一般に利益を生むことを否定しているのではなく、利益を生んで他のものに役立つことで、所有物そのものの美しさが決まるのではない、と言っているのである。つまり、他のものに役立つということは目的に奉仕することであり、自由に反するからである。

 美しいものを列挙するアリストテレスは、最終的に自由について語る。
 特定の利益の享受という目的に供されることなく、それでもなおその人のもとにあるもの、それは観想的な生の営み、真に自由な生き方においてのみ見いだされるものでもある。目的手段という関係性から逸脱するもの、その逸脱にこそは宿る。
 
 ここにハイデガー現象学的な存在論を連結させることもできるだろうし、カントの「目的なき合目的性」や「美的無関心性」といった18世紀の認識論や感性論の概念を導入することもできるだろう。あるいは観想的生ということから中世の神学思想へ移行することもできるだろう。

  + + +

 アリストテレスの『弁論術』は、その名の通り「上手いしゃべりを目指す人のためのハウツー本」である。議会や法廷での効果的な答弁や巧みな演説について、その方法論が具体的かつ網羅的に述べられており、きわめて実際的かつ実用的な著作である。
 ソクラテスプラトンの立場からすればそれこそ「量産型ソフィスト育成マニュアル」とでもいった悪書の類かもしれないが、現代においてなお、いわゆるスピーチ(聴衆を前にしての一人しゃべり)という欧米独特の言論文化(それはリンゴで有名な電子機器メーカーの新製品発表イベントでの基調講演やアメリカ合衆国大統領就任式での就任演説を想像していただければ差し支えない)を理解する上でも大変価値ある一冊である。
 
 にもかかわらず本書はそのような全体像を差し引いてなお余りあるものが、ほかでもないアリストテレスの卓抜した人間分析が、随所に光る。
 私たちにとってよいものとは、美しいものとは、自由とは何か。
 小手先のテクニック論にとどまらない、アリストテレス人間学の真髄に触れることのできる一冊である。 

アリストテレス 弁論術 (岩波文庫)

アリストテレス 弁論術 (岩波文庫)

*1:アリストテレスによれば『他にはよいものを何一つ伴わないとしても、それ自体として望ましい』という点において、知識、技術、生きることはいずれもよいものだとされる。