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読書録:三つの内なる貧しさ(エックハルト)前編

 中世の神学者でありドイツ神秘主義の源流とも目されるエックハルト(1260-1328?)の有名な説話《三つの内なる貧しさ》をみていきたい。テーマはこの聖句である。

"Beati pauperes spiritu, quoniam ipsorum est regnum caelorum."(羅)
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"Happy are those who know they are spiritually poor; the Kingdom of heaven belongs to them!"(英)

 エックハルトはこの有名な聖句(マタイ5-3)について次のとおり宣言し、説話を開始する。

何も意志せず、何も知らず、何も持たない人、そのような人こそが貧しき人である。

 貧しさの要件は「(1)意志せず、(2)知らず、(3)持たざること」ということになるが、これはどういうことだろうか。ひとつずつ順番にみていくことにする。

何ら意志することのない人こそ貧しき人である

 第一の要件である「意志しないでいること」について、その論点となる箇所を抜き出すと次のようになる。

・最愛なる神の意志を満たそうとすることが自分の意志である、ということがその人にまだあるかぎり、このような人には、わたしたちが話そうとしている貧しさはない(・・・)。なぜならば、このような人は、神の意志を満たそうとする意志をまだ持っているからである。
・神の意志を満たそうとする意志を持ち、永遠と神とを求める欲求を持っているかぎり、あなたがたはけっして貧しいことにはならない(・・・)。なぜならば、何も意志せず、何も求めない人だけが貧しき人だからである。

 ありとあらゆる意志欲求が阻却されてこそ真に貧しいということになる。
 御言葉にかなう行いを為そうとすることは、一般的にはよいことであるが、それは本当の貧しさではないとエックハルトは考える。意志や欲求はそもそも私にとっての外的な目的因を前提とする。究極の目的因は、私の外部には存在しない。私の内部にこそすべての目的の目的因があるはずなのである。

何ら知ることのない人こそ貧しき人である

 次に、第二の要件である「知らないでいること」について、その論点となる箇所を抜き出すと次のようになる。

・自分が、自分自身のために生きることも真理のために生きることも神のために生きることもしていない、ということさえまったく知らないというように生きなければならない(・・・)。
・神が自分自身の内で生きていることを知ることもなく、認識することもなく、感ずることもないほどに、すべての知にとらわれることなくあらねばならないのである。さらにいうなら(・・・)自分の内で生きるどんな認識にもとらわれることがあってはならない。
・自分の内で神が働いていることを知ることも認識することもないほどに自由にしてとらわれることなくあらねばならない。そのときはじめて人は貧しさを所有することができるのである。

 ありとあらゆる認識が阻却されてこそ真に貧しいということになる。
 認識し、対象化することで、私はかのものにダイレクトに触れることができなくなる。たとえ極限の近さにまで及んだとしても、その距離がゼロになることは決してない。認識の対象となったものとの関係は、自由ではない。認識が働く(働いてしまう)ということは、不自由さのあらわれなのである。

何ら持つことのない人こそ貧しき人である

 そして、第三の要件である「持たないでいること」について、その論点となる箇所を抜き出すと次のようになる。ここにおいて以上二つの要件は総合的に包摂される。

・神は、神が働くことができる場を人がみずからの内に持つことを神のわざのために求めているのではけっしてない(・・・)。
・人が神と神のわざすべてとにとらわれていないとき、それを精神における貧しさという(・・・)。なぜならば、人がそれほどに貧しくなったのを神が見出すとき、そのときに(はじめて)神は神自身のわざをなすのであって、人はそのような神を自分の内に受け、かくして神が働くのは神自身のうちであるという事実から、神は神のわざの固有の場となるのである。
・人は、神が働くことのできる場でもなく、またそのようなどんな場をも持たないほど貧しくなければならない(・・・)。

 人が自らこしらえる精神的な(場所、領域)などというものは、実に大したものではない。認識欲求が阻却されるということは、もはや思うところの精神の場さえも阻却されるということである。脱我における脱我性、あるいは無私における無私性はここにおいて究極となる。
 こうして、限りない無が私を満たすことで、私は本当の意味で貧しくあるのである。

エックハルト説教集 (岩波文庫)

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